女声合唱とピアノのための

「ひみつとひかり」

作曲 野村靖子 / 作詞 林弥由

 

 2019年7月20日 カンティ・サクレ 9thコンサートにて委嘱初演の『ひみつとひかり』が今秋 パナムジカから出版されました。

 

すべての生命の生と死の根源を問う 儚くも美しいこの作品を、手に取って見ていただけたらと思います。

 

表紙のイラストは作詞家の林弥由さん自らお描きになった素敵な楽譜です。

 

パナムジカのサイトでは 新刊案内の欄に雨森先生の推薦メッセージが掲載されています。

是非そちらもご覧下さい。

 

女声合唱とピアノのための「ひみつとひかり」(パナムジカ出版)

 

 委嘱初演した全4曲をYouTubeにアップロードしております。

どうぞご試聴ください。(画像をクリック)

1. 天狼 ―星の目―

2. リラックス・エチュード

3. 有明の月

4. ひみつとひかり

2019年3月18日、9thコンサートの委嘱作品「ひみつとひかり」を作曲してくださった野村靖子先生が 岡山から遠路はるばるサクレのホームグランドである高槻市にお越しくださいました。作品への先生の想いや、創作の過程など、いろいろなお話を伺うことが出来ました。

 

 

テーマは『命』生きているということ

 

 

雨森:本日はお忙しい中、ようこそいらっしゃいました。よろしくお願いいたします。

 

野村:はい。改めまして、野村です。皆さんに歌っていただいて本当に嬉しく思います。

 

「天狼」は以前、他の団体で歌ってもらったことがありましたが、この間の皆さんのレディースアンサンブルのステージの演奏を聴かせてもらって、とても温かいものを感じました。演奏会に向けてこの方向でお願いしたいと思います。

 

「天狼」や他の曲がゆったりして温かく、ふわ~っとした感じなので、終曲の「ひみつとひかり」のテンポは、生きていることを実感するようにピシッとした感じで締めるのがいいと思います。

 

これらの曲の全体のテーマが、『命』つまり生きているということ、亡くなっていくということです。

「ひみつとひかり」は全体のテーマを伝える大事な内容で、特に最初の出だしの歌詞は、植物も動物もみんな今という時を一緒に生きているということを、作詩した林弥由(みゆき)が伝えたかったのだと思います。

 

普通に生活していると、生きているということを実感する機会が少ないですが、すごく親しい人とか大事な人が亡くなったりすると、私はまだ生きていかなくてはならなくて、生かされていることを気づくというか、初めて『命』という尊さを知ることになると思うのです。

 

植物も動物も私たち人間もみんな出会っていろんなところで影響し合って、生きているということを実感する。例えば植物の草の芽が芽生えたり、そういうものを見たり聞いたり、そして感じたりする事が、生きているんだという実感にも繋がると思うのですね。

 

歌詩に「世界を小さく切り取れば…」とあるように、命はいつどうなるかわからないけれども、いろんな生が今という瞬間、過去も未来をも通して、今という時をみんなで感じて、ちょっとしたことでも喜びを見つけて一緒に生きていけたらいいなと思い、この曲を作りました。

 

 

星が伝えてくれること

 

 

皆さんは「天狼」の星を、すごく凛とした星として想像して歌ってくださっていると思います。

 

この曲を作るきっかけは、自転車での帰宅途中にたまたま見上げて見た星に見つめられ、吸い込まれそうになり、道路の側溝に落ちそうになったことがありました。

それで、これはなんなのだろうと思いよく考えてみたら、その星が若くして亡くなった近しい人で、私に何か語りかけてきたのではと思ったのです。

 

それまでにも不思議なことがよく起こっていたのですけど、亡くなった人というのは星になって空から私たちをただ見守っているだけではなくて、いろんなことを伝えてくれるのかなと。やさしさも強さも、時には厳しく見守ってくれているということを、その時に思ったのですよね。

 

不思議な体験をしたので、これはちょっと書き留めないと、と思って作ったのがこの「天狼」のオカリナの曲です。

その後この話も踏まえて、林にこの曲の詩をお願いしました。

 

この先、いつか私たちも星になる。その光を今も潜ませて生きているということを実感していたいし、向こうから届けられるように光を持ち続けたい。

深い悲しみだけではなく、もう少し踏み込んだ、もっと先に続く「生きる」ということに対しての強いメッセージを残していきたいという気持ちを表現したという感じです。

言葉にするとすごく堅苦しくなりますが、そういう包み込むような温かいものを伝えて届けてくださったら嬉しいと思います。

 

「天狼」の最初のところは宇宙のエネルギーが集まってバンとぶつかって、光がフワーっと広がって世界を包み込むような感じで歌ってほしい。

その後ピアノの高い単音による星が生まれて、そこから物語が始まるという感じです。

 

前奏がちょっと神秘的な感じで、そこにぶつかる障壁ではないのですけれど、人の想いがそこにあって、そして静かに始まる。

歌詞が始まるまでは、研ぎ澄まされて澄み渡った夜空の空気感と宇宙空間を彷徨うような表現がほしいです。

 

 

言葉があって初めて、曲の世界が存在する

 

 

歌詞が入ってくるところから感情が出てくるから、子音をしっかり聴こえるようにしたいですね。

 

歌詞カードを事前に見てくださる人がコンサートでは沢山いらっしゃいますけど、大体が駆け込みで来られて、歌を聴いたあとから歌詞を見て、ああ、この曲はこんな歌詞だったのか、みたいになってしまうことが多い。

 

私も色々な作品を色々な団でこれまで歌ってもらったのですけれど、やはり歌詞カードがあるのと無いのとでは曲に対する皆さんの聴く姿勢が違っています。

歌詞カードが無くても、ちゃんと歌詞が聴こえてくると詩の意味が伝わってくるので、すごくジーンと来ますね。

 

平林:この辺は歌詞がちゃんとわからないといけないですね。

 

野村:曲は良かったのだけど、何を歌っているのかがわからなかったと言われて、以前すごくショックを受けたことがありました。

言葉があって初めて、曲の、その世界が存在すると思っていますので。

 

雨森:そうすると、この曲はもともと旋律だけで書かれたわけですけど、旋律線のその自然な流れでオカリナが演奏するところを、合唱ではそれを多少捨てでも、言葉があったほうがいいということですね?

 

野村:はい、そうです。全体的に細かい指示はつけていないのですけれど、言葉を優先してほしいです。

 

誰にでも共感できる、どこにでもある身近な思いを込めた詩ですし、大切な人が亡くなった方はたくさんおられると思うので、スーッと入ってくる感じになるようにしていただけたらいいと思います。

 

雨森:そこは迷っていたのです。先に旋律が作られているので、旋律を壊すほどまでに言葉をつけてもよいのか。旋律を止めてしまうということもありますので。

 

野村:言葉があるというのは、音楽の流れとイントネーションが違うところがあるので、そこは本当に申し訳ないと思うのですが。

旋律も言葉に沿って変えてみたところが何か所もあるのですが、でもやっぱりしっくりこないんですよね。

 

雨森:僕はイントネーションが全然気にならないですよ。

 

平林:しゃべる言葉よりゆったりしているところは、イントネーション通りでなくても、歌い方次第でどうにでもなるなと思います。

 

野村:あまりイントネーションのことばかり考えて作ると、どこにでもあるような旋律になってしまう。そうしたら個性がなくなる気がする。

 

平林:平田あゆみ先生も全く同じようなことをおっしゃっていて、あえてイントネーションとは違うのだけれども、そこは音楽的なフレーズの流れみたいなものがあるので、そこはイントネーションとは反対なのだけれども、そう歌ってください、みたいなことを言われました。

 

 

分かち合う温かい音楽

 

 

野村:「リラックス・エチュード」はホッとできるような言葉が何回も出てきます。

忙しくてストレスがあっても、解き放たれて穏やかに時を過ごしたいよねという思い。

そして、いろいろと落ち込んだりすることがあっても、私は私でいいし、あなたはあなたでいい。みんなが人のいいところを見つけて温かさを分かち合えたらと思います。

 

こうして縁あって出会えた皆さんとともに、そのような分かち合う温かさを音楽で作れたらいいなぁという想いがありました。

 

この曲はシンプルに難しいことをせずに、スーッと歌えるように作ったつもりです。

 

以前、題名にあるエチュード(練習)を強調した伴奏を考えて弾いてみたのですけれど、林からそれはちょっと違うと言われました。

 

リラックスすることの練習、つまり心を落ち着けてほんわかする、そういう時をあえて努めてみんな持とうよ、ということのようです。

 

最後の「分け合いっこできるように」という歌詞で伸ばすところの伴奏の動きを、もう少し難しい動きにしたかったのですが、なんだか変な緊張感が生まれてしまったのですよね。

それだったら、本来のイメージではないと思いました。

この曲はすんなりと気持ちよく温かいものだけが届けばいい。メロディーも歌も動かさずにフワーッと歌い上げればいいかなと思いました。

 

前奏を弾いていた時に、家族に「この曲、聴いたことがある」と言われたことがあり、ああ、ドビュッシーの「月の光」の出だしに少し似ていたのかな?と思いました。

最後の部分も歌い上げた後にほんわかとした音色のピアノを登場させて、「リラックスできましたか?」と終ったらいいかなと。言葉がシンプルなのでそんな響きなら雰囲気が伝わりやすいかもと思いました。

 

誰かと比べて自分を落ち込ませるとか、そういうことを全部取っ払って、温かいものだけが生まれてくるといいなぁという、そんな想いで曲を作りました。

 

 

長い夜から朝へとつないで そっと眠る

 

 

雨森:「有明の月」の詩は、娘さんの弥由さんとの共同制作となっていますね。そのいきさつを教えていただけますか?

 

野村:この曲はもともとオカリナ演奏用に作った曲です。「有明の月」は朝に消えゆく穏やかな月のことですが、それと同時に消えなくてはならない、そういう切ない運命の月でもあり、その想いを曲にしました。

 

雨森:なるほど、オカリナの曲があったのですね。

 

野村:はい、そうです。実は二年前に大学時代の大親友が急に亡くなりまして。ご主人さまは大変落ち込んでいるご様子で、どれだけ大事だったのかが身に染みられていて…。

「悔やむことばかりだけれども、彼女は僕の中で生きているから、その思いでこれからも生きていこうと思う」と切々と言われて、ああ、そうかと…

 

人間は誰しも明日のことはわからない。大事な愛しい人を失った時に、初めて生かされている自分というのが身に染みてわかるというか。

でも、つらい思いをされていても前向きに生きていこうとすることを聞いた後に、有明の月の、あのボワーっとした月が彼女に重なって見えて、感動して帰ってきたのですよ。

 

その後、この曲の詩を弥由に書いてほしいと思い、私のイメージを言葉にしたものをたたき台にして直してもらいました。

 

雨森:ああ、そういうことだったのですね。

 

野村:言葉はまるっきり弥由の言葉で書いたところもあります。この歌詞の「長い夜から朝へとつないでそっと眠る」とあるように、明日に繋がって生かされていることを心の中で忘れないでほしいという思いで作りました。

 

ここまで話すと気持ちが下がっちゃうのですけれども、本当はそうではなくて有明の月の雄大さを感じてほしい。

最後の歌詞も「去る」とか「離れる」ではなくて「眠る」にしたのは、ちゃんと自分の中に眠っていたら、生きるということが心の中に納まるかと。

皆さんもこういう体験があると思うので、だから残しておきたいのです。

 

雨森:そうしたら、この曲は弥由さんの思いというよりも、先生の想いが色濃く言葉の中に入っているのですね?

 

野村:そうですね。和らいだ美しい言葉にしてくれましたね。 あの時、去りゆく月がそういう風に見えてしまったのだけれども、ただ悲しい曲だけにはならないようにしました。

 

雨森:お話を伺って、曲のイメージがよくわかりました。大変貴重なお話をありがとうございました。

  

                   野村靖子 

 

 1958年生まれ。国立音楽大学音楽学部教育音楽学科第Ⅱ類専攻卒業。

ピアノ組曲『子供のメルヘン』で卒業作品演奏会に出演。

卒業後は母校の山陽女子高等学校(岡山県)音楽科講師として、長年にわたりソルフェージュ、音楽理論などを指導、その傍ら女声合唱の編曲などを多数手掛ける。

作曲は教材作りに依って培われ、退職後、自作曲CDとして、オカリナとピアノによる『心の音』、唱歌の編曲を含む素朴な歌を集めた『うまれたてのあお』を制作。

現在は音大受験生など後進の指導に携わりながら、新しい作風を求め日々の思いを綴る曲作りに励んでいる。

著書に女声合唱編曲集、音大受験生を対象とした『新曲自主練習問題集Ⅰ、Ⅱ』がある。岡山市在住

 

 

 

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